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「文化祭」の後で写真が無いッ(-_-;)!

非協賛イジケ企画

バックオーライ1972

その1:「軟弱北海道旅行」

私が「鉄道趣味」の世界に入ったのは一応≠P969年9月(⇒「西武の部屋」参照)とされています。しかし現実には、西武秩父線開業の後は専ら、関東大手私鉄の乗り鉄$齧蛯ナした。その関東大手私鉄すら、中学三年の文化祭の為に恥ずかしい写真(⇒こちら(^^)を撮った翌年に当る・・・日本中が「鉄道100年」に沸いた1972年の写真と言えば・・・待望の通勤冷房車≠ェ西武に登場したとき以外、殆ど撮っていませんでした。時は折りしも『SLブーム』末期!高校1年・・・先輩諸氏は勿論、同級生・中学生の後輩達も、北海道から九州まで・・・イヤイヤ!東京や名古屋、大阪近郊だって・・・それぞれに煙≠必死で追いかけていました。  そのような中、不詳私は完全に嫌煙家≠気取り・・・泊りがけの鉄道旅行すら一度も出ないという、軟弱高校1年生でした。

時は2002年!「あれから30年&鉄道130年」ということで、インターネットの世界でも1972年≠フ特集がブームになり、それぞれに青春の思い出の素晴らしい写真がホームページを賑わしていました。・・・そ〜いうわけで、指を咥えていた拙者も数少ない1972年のネガを引っ張り出し・・・爆笑の渦が沸くことを覚悟でこの特集をアップした次第です。 辛うじて、夏休みに母親同伴で行った超軟弱な北海道旅行の「観光ネタ」の中に、僅かながら鉄道が写っていました。

記憶ではこの旅行・・・上野-(20系ゆうづる4号17レ ハネ)-青森-(青函7便寝台)-函館-(キハ82北斗1号)-札幌(泊)-急行大雪4号(DC)-網走(泊)-原生花園-(ここでC58牽引列車に乗車)-川湯=美幌-(急行大雪)-札幌(帰路は千歳からJALのDC8-61JA8048←何故か覚えている^^;・・・はじめてのヒコーキで感動!)・・・だったと思います。 


20系ゆうづるの食堂車の美味しい朝食や連絡船の写真は全く無く・・・突然、↓の写真が出てきます。函館駅で発車を待つ、キハ8245ほかの特急北斗1号7Dと上り臨時急行「すずらん」のしんがりを勤める尾久から応援のナハフ10です。誰かにこの写真を見せたら・・・「北海道に10系は珍しいね」と言われたのを思いだしました。

いかにも高校生アルバイト然とした駅弁販売員のユニホーム?が時代を映している気がします。この写真は余り調子が良くなかった父の払い下げ「ペトリV6」で撮った写真の中でもよく映っている写真です。

「北斗」に乗り込んでからとなりの客車を撮りました。判って撮ったのか不明ですが、今では貴重な一こまですね!

1972-7-29 函館 ネオパンSSS


札幌で一泊して、翌日網走に向かう前に憧れの711系を撮りました!サイリスタ位相制御の粘着特性を生かした身軽な1M2T編成。耐寒耐雪性能も折り紙付きの北海道の生んだ傑作車です。国鉄車輌に余り興味が無かった私もコレ≠セけは別でした。逆に特急用≠ナ「ナントカ系1500番台」が暫定措置とはいえ投入されたときは・・・日本の鉄道もこれまでか〜(-_-)ッ≠ニ失望したものです。 今、その片割れ≠ェ大人気を博している?というのも皮肉ですね!

当時の国鉄量産車唯一のシュリーレン<^イプの台車TR208(電動車はDT38)。ウイングバネを完全にゴム被覆するために「結果的に円筒案内式になった」というのが真実だろうが、近鉄12200系を彷彿させる台車が「国鉄」に存在していた!

1972-7-30 札幌 ネオパンSSS


現役SL@北海道は・・・たった1枚!

繰り返しになりますが、多くの方々が白い悪魔∞熊の恐怖≠ニ闘いながら青春を捧げた現役時代の北海道のSL!この旅行でも随分と車窓では目に入っていましたが・・・写真は1枚も・・・と思っていましたが、奇跡的にこの1枚だけが写っていました。

ネガスキャン時にドライバーで様々な補正をすると↓このようになりました♪

美幌  1972-8-2  フジカラーN100


観光のアリバイ写真「知床5湖」

「タマちゃん」のお母さん?@網走水族館!

1972-8-1  トライX


最終日はこれまた憧れの札幌地下鉄(現南北線)に乗りました。我国では依然としてゴムタイヤ式≠フ孤塁となっています。しかし「新交通システム」ではかなり普及しました。それらと比べると、札幌は輸送密度が格段に高い『札幌方式』が光ります。

「札幌オリンピック」で注目された北の終点、真駒内は近代的なニュータウン造りが継続して進められていたが、まだこの頃の駅前は閑散としていました。

地下鉄の地上部分を覆うシェルター≠ナす。一昔前までは「定山渓鉄道」が走っていたんでしょうね!?停まっているクルマ・・・タクシーでした!地味な塗装ですね。

北欧辺りのニュータウンのイメージでしょうか!何もかも広々としたレイアウトが『内地』との違いをアピールします。

真駒内駅に停車する、地下鉄南北線1000形2連×3(又は1000形2連+2000系4連)?の6連。特大の半固定窓と奇抜な前面デザインは正に『欧州的』!我国初のゴムタイヤ駆動や改札口の完全自動化など、正に未来志向≠フ地下鉄でした。

運転台もこの通り!レバー式マスコンと通常型の全電気指令式ブレーキハンドルは今日の標準≠ニもいえる方式です。車内信号式ATCを備えた地下鉄もまだまだ少なかった。既存の規格にとらわれない為に、車体幅は3メートルを超える。車体長は13.5m(片側2扉)なので、かなりズングリした印象です。

こちらは、相対ホームの中間駅(自衛隊前だったか・・・?)で撮った、真駒内行きの1000形2ユニット4連。全列車8連の現在では考えられないのんびりとした風景です。余り、よく知られていませんが、この車輌の軸配置を機関車流に言うなら「1-B-1(連接)-B-1」が2両1ユニットになります。4両固定の2000系も1000形を2ユニット連結し、中間の運転台を無くした形態でした。両車共抵抗制御で、ゴムタイヤの粘着性能を計算に入れて?加減速のステップはかなり荒くて、強引にグイグイ加速する印象が残っています。タイヤのゴムのカス≠ェ抵抗器に付着してコゲ臭かった・・・という話しも雑誌に掲載されていました。1000形は一足早く、残った2000系も1999年6月に全車引退しました。チョッパ制御になった3000系以降は比較的平凡なスタイルになりましたね。

木目パネルを奢った2000系車内。連接部の手前と、奥の非連接部の貫通路の違いが良く判ります。円形の断面と無骨な鎖≠フミスマッチが面白いですね。大きな側窓は、3枚のうち中央上だけが開く構造!正に欧州並=I窓の大きさに比べ、座席の背もたれの小ささ(確か、二分割のスリット部分がヒーターになっていた??)が目立ちます。手前、右の青いバッグは拙者の当時のトレードマークでした・・・銀箱嫌い≠ヘこの頃から?^^;

最後は、HP初公開ペトリの「135ミリ F3.5レンズ」で撮った大通公園≠ナす。何だか、いい雰囲気の描写です♪

1972-8-3  フジカラーN100

ペトリV6 ペトリ55ミリF1.8/135ミリF3.5

(全写真 ミノルタ F5000でスキャン)


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