下野・常陸の古墳探訪
|
判官塚古墳墳丘・栃木県鹿沼市 |
|
穴薬師古墳墳丘・茨城県五霞町 |
久々の東京出張、休みを利用して栃木県下と茨城県の鬼怒川沿いの古墳を訪ねてきました。上京した翌日から連日の雨、当初天気予報では土曜日は回復するとのことでしたが、見事にハズレて当日は生憎の雨模様、霧雨程度でしたが伸び始めた雑草が濡れているのでビショビショです。移動は車ですのでそれ程雨の影響はありませんが、やはり雨中の古墳巡りは辛いものがありました。栃木県下の古墳を訪ねるのは今回で6回目になりますが、前々回の那須では福島で雨に遭い、前回の足利も雨、更に那須の前に訪ねた益子でも霙混じりの雨に遭い、今回で四連敗です、どうも栃木県は相性が良くないようですね。東京に滞在した四日間、天気の悪いのは関東地方だけだったみたいですので、今回ばかりは強烈な雨男パワーを発揮してしまったようです。
栃木県下の古墳は「探訪とちぎの古墳」を参考に回るのですが、詳しい地図は記載されているのですが、範囲が狭いので場所を特定するのが大変です、実家で借りた関東のロードマップが役に立ちました。早朝実家を発って大森駅からJR京浜東北線で上野駅へ向かいますが早朝にもかかわらず乗客が多いのにはビックリです。上野で宇都宮線に乗り換え県都宇都宮へ、相変わらずゴルフのおじさんが多いですね。宇都宮駅には8:30過ぎに到着し駅近くのレンタカー店を9時前に出発、宇都宮市から壬生町、鹿沼市、小山市などの古墳を見学し、最後は鬼怒川を渡って茨城県の関城町と五霞町の古墳も訪ねてきました。今回は今まで見落とした古墳をピンポイント的に見学しましたが、見落としたと言っても見応えのある古墳が多く、天気には恵まれなかったものの、なかなか充実した古墳巡りを行ってきました。
今回特に印象に残った古墳は栃木市の岩家古墳、茨城県五霞町の穴薬師古墳です。特に穴薬師古墳は内部には入れませんでしたが、南山古墳を思わせる石材の積み方や、直接は見ることができませんでしたが、瓢箪型の平面プランなど特筆すべき特徴を備えているようです。また鹿沼市の伴官塚古墳では僅かな隙間から潜り込み内部を見学、側壁の積み方が特徴的で、同じ様な石室は栃木県北部の首長原古墳や二つ室古墳などで見学した記憶があります。また茨城県関城町の船玉古墳は一転して九州的な構造の横穴式石室、こちらも内部には入ることができませんでしたが、柵越しに見学してもなども良かったですね。それほど多くの古墳を回ることはできませんでしたが、幾つかユニークな石室を見学することができましたので満足しています。これからは数を稼ぐのではなく特徴ある石室を時間かけて見学するような余裕を持ちたいと思っています。
|
下野の横穴式石室 |
||
|
谷口山古墳(栃木県宇郡宮市長岡町) |
中山古墳(栃木県大平町下皆川) |
|
|
谷口山古墳は直径29m・高さ3.6mの円墳です。埋葬施設は片袖型横穴式石室で、全長7m、玄室は長さ5.5m・最大幅1.7m・最大高さ1.57m。羨道は長さ1.5m
・最大幅0.8mの規模を持ちます。羨道の手前には長さ6m ・最大上幅1.3mの墓道の跡がみられます。築造年代は6世紀後期。中山古墳は直径15〜16mほどの小型の円墳です。埋葬施設は、南に向けて開口する片袖型横穴式石室で、全長6.06m、玄室の長さ2.36m・奥壁幅l.21m・同高さl.56m、羨道の長さ3.7m・同幅0.7m・同高さ1.25mを持ちます。6世紀初頭の築造と推定され、本県の古墳に横穴式石室が採用された初期のものと考えられている。 |
||
|
|
|
|
|
岩家古墳 (栃木県栃木市大塚町) 思川の右岸の沖積台地にある直径約36m・高さ約3.8mの二段築成の大型円墳です。一段目には幅広の基壇があり、その上に二段目の墳丘が載っています。墳丘の周囲には周堀があり、その底面からの高さは約6m、周堀の幅は8m・深さ0.9〜l.3mで、周堀の幅をふくめると直径約80m近い規模となります。埋葬施設は南に開口する横穴式石室で、一枚の凝灰岩の切石を組み合わせて構築されています。現在は羨道部が失われていて玄室のみが残っており、玄室は長さ1.95m
・幅l.35m・高さ1.15mの規模を持ちます。葺石・埴輪が認められず、築造時期は7世紀前半ころと考えられています。 |
||
|
|
|
|
|
判官塚古墳 (栃木県鹿沼市) 全長約61m、後円部径約31m・高さ約5.5m、前方部幅約39m・高さ約4.7mの前方後円墳です。前方部が発達した古墳時代後期の前方後円墳で、埋葬施設は後円部にある、南南東に開口する両袖型横穴式石室で、玄室は長さ4.1m・幅2.5m・高さ1.4mの規模を持ちます。奥壁には大きな一枚石を置き、側壁は河原石を積み上げて構築されています。 |
||
|
常陸の横穴式石室 |
||
|
|
|
|
|
船玉古墳 (茨城県真壁郡関城町船玉) 鬼怒川左岸の河岸段丘上に立地する、一辺約35m・高さ3mの方墳です。埋葬施設は南に開口する両袖型複室構造の横穴式石室で、全長約11.5m。石室の石材には筑波系の雲母片岩の巨石を使用しており、茨城県下では最大規模の石室として知られています。後室西側壁と奥壁には赤色顔料と自色顔料を用いた7本の矢を表現した奴凧形の靫をはじめ、鞆と推定される円形図文、船らしき帯状文などの壁画が認められるといわれていますが、詳細は不明です。7世紀代の築造と思われています。 |
||
|
|
|
|
|
穴薬師古墳 (茨城県猿島郡五霞村川妻字薬師下) 利根川と権現堂川にかこまれた五霞村の北端に位置し、標高15m内外の低地、水田中にあります。直径30m・高さ4mの円墳で、周囲には幅5mの周堀が確認されています。埋葬施設は横穴式石室で全長7m・幅2m・高さ2m程で約1mの羨門部・奥行6mの玄室とからなっています。玄室は胴張り構造で、その平面プランは瓢箪型をしており、側壁の立ちあがりも内側に湾弓しています。石室は軽石を煉瓦状に加工し積み上げています。石室の構造などから推測して築造時期は古墳時代の終未期と推定されています。 |
||
|
|
|
|
家型石棺 小山市千駄塚古墳脇に展示されている家型石棺です。近くの古墳から出土したと言われているようですが詳細は分かりません。刳抜式の家型石棺のようで棺身と棺蓋が展示されていました。棺蓋の方は短辺側の一部が欠けていますが、棺身はほぼ完全に残っています。縄掛け突起が短辺に一対、長辺に二対付いているようで、畿内の典型的な家型石棺に近い形をしていることにビックリしました。 |
|
日本古墳大辞典:東京堂出版
探訪とちぎの古墳・塙静夫:随想舎
日本の古代遺跡44栃木:保育社
日本の古代遺跡36茨城:保育社
まっぷる情報版茨城7・
謝辞
敷地内に所在する見学を快く承諾して頂いた地主の方々には心より御礼申し上げます。また道を訪ねた際に親切にご対応下さいました各古墳の地元の方々にも、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
栃木県・茨城県下の横穴式石室墳はこちらのサイトもご参照下さい。
|
|||
|
|